ランチは「マーローのレストラン」という、とても古い建物のお店で頂きます。


中に入ると俳優の写真がたくさん壁に飾ってありました。
  
 ここでは、ボリュムたっぷりのソーセージ料理を
頂きました。このソーセージ、ラム肉の匂いがします。
イギリスに来て草原でたくさんの羊を見て来た事を
思うと、羊は食用として、ウールの供給源として
イギリスの人たちの生活にかけがえのない動物だな~
と感じるのでした。

中庭から見たシェークスピア・ハウス

街並みも美しく、演劇の街、小劇場があったり、街歩きも楽しい☆

デンマーク王子

シェークスピアの故郷を訪ねて

アンの家を後にして向かったのは「バンクロフトガーデン」です

 イギリス観光4日目は、バーミンガムを出発し
約1時間、シェークスピアの故郷
「ストラトフォード・アポンエイボン」に向かいました。
 コッウォルズ地方で最も北に位置し街道と川が交わるこの
地域は13世紀のローマ占領時代から交通の要として
発展して来た街です。
 ストラトフォードの街には、15世紀のチュダー朝時代の
建築が多く残っています。
 まず、ストラトフォードから1・6㎞郊外のショッタリー村
にあるシェークスピアの妻の生家
「アン・ハサウェイのコテージ」を訪ねました。
裕福な農家だった事が伺えるこの家は、シェークスピアの妻
「アン」が1582年に結婚するまで住んでいた家です。
アンは姉さん女房で、結婚した時、シェークスピアは18歳
アンは26歳だったのです。 
 「古きイングランド」を今に伝えるこの家は1892年に
ナショナルトラスト運動
「シェークスピア・バースプレイス・トラスト」が
恒久的な保存を目的に買い上げ、現在もヴィクトリア時代の
コテージガーデンの典型といえる情景を見せてくれます。
 

「バンクロフトガーデン」は、エイボン川を旅する
ナローボートが水門を通過する順番を待っていたり
川の水面に白鳥の美しい姿を見る事ができます。
 ここにある、シェークスピア像はとても立派でした。
シェークスピアは1564年にストラトフォードに生まれ
少年時代、聖書の言葉に人間形成の影響を受け
彼の演劇に出てくる台詞は、祈祷書にあるものが多く
これを暗記しながら成長したと言われます。
家業を手伝いながら勉強した彼は、グラマースクールの
代用教員として働き、18歳の時、8歳年上だった「アン」の
妊娠をきっかけに結婚。シェークスピアがロンドンで
仕事を始めてからも、アンはストラトフォードに留まって
家庭を守った、しっかり者の妻だったそうです。
 1580年代になると演劇は盛んになりシェークスピアも
演技や脚本の仕事を覚えながら、演劇の世界に
のめり込んで行きました。1592年に念願の
「ヘンリー6世」を初演。その後も次々と成功を収めます。
 ジェームス1世時代には、国王一座として認められ
徐々に著名人の仲間入りをして行きました。
 しかし、どんなに成功を収めても、ストラトフォードへの
望郷の念は消えず、「ヘンリー8世」を書き上げた後に
演劇界を引退、愛するストラトフォードに帰ってきた彼は
この街の名士として地域の人と親交を深め静かに余生を
過ごしたと伝えられます。

ランチタイムを終えてお店から出ると
近くの劇場で公演するという学生さんが
変装やメイキャップをして通りでパフォーマンスを
繰り広げていました。
この古き良き街で、若く、はつらつとしたパフォーマンスに
出会えてなんだか明るい気持ちになりました。

シェークスピアショップに立ち寄り旅の記念品を
買う事も出来ますよ☆

これが、シェークスピア・ハウスの外観です。本当に古いこの建物ですが
良く保存され当時の趣を感じさせてくれます。

バンクロフト・ガーデンを後に、シェークスピアの生家の
あるストラトフォードの街に入っていきます。
 これが→生家への入り口「ビジターセンター」です。
生家の内部は撮影禁止なのですが
 シェークスピアが育った当時の家庭の様子が再現
して展示してありました。
 このシェークスピアの家、15世紀の終わり頃建てられた
もので、父のジョンが皮手袋の仕事場も兼ねて購入した
とされます。シーェークスピアの死後は彼の妹とその子孫が
住み続けましたが1847年家が競売にかけられると
「アン・ハサウェイのコテージ」と同様に
「シェークスピア・バースプレイス・トラスト」が取得して
国の記念建物として保存していく事になったのです。

バンクロフトガーデンの芝生の中には「ロイヤル・シェークスピア劇場」がありました
現在は改築中でした。この劇場、かなり大きい大劇場でした。
改築後の公演を観劇してみたくなります。

訪れたのが、小雨交じりの早朝だったので静かだったのですが
このアンの家は観光客がひっきりなしに訪れる観光スポットで
庭ごしに望む家の情景は数限りない絵や写真のテーマとなり
イングランド人の郷愁を誘うのだそうです。

シェークスピア像の周りには、彼の作品の登場人物の像がありました。
デンマーク王子と、レディ・マクベスは像の下の記実で確かなのですが
後の2つの像が誰なのか?判りません。
私の想像で、この像がシェークスピアの4大悲劇を現しているとするなら
オセロとリア王の登場人物なのでは?と思ったのですが・・・・
未だ、真実究明中です。

オセロ?

お庭は19世紀中期からのもの、シェークスピアの作品に出てくる植物が多く植えられています。
16世紀当時は菜園として使われハーブや果実が植えられていたそうです。

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レーディ・マクベス

リア王の道化?