ハンプトンコート宮殿のゴースト伝説

ピカデリーでミュージカル鑑賞

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グレートファウンテン・ガーデンにもどって振り返って見ると、長く続く砂利道に果てしなく
植えてある木々、この庭園の規模の大きさを感じます。

南側から見た宮殿は、こんな全景です。

一番イタリア的な雰囲気のする 沈床式庭園(サンク・ガーデン)

ファザード前に並ぶ→
ウェールズドラゴンたちです。
パリ・ノートルダムの
「ガルグイユ」を思い出します。
ウェールズのドラゴンは王家の
守護竜として人気キャラクター
らしく英国では置物や
ぬいぐるみなどもあるのだとか。

午後からはヘンリー8世がお気に入りだった
ハンプトンコート宮殿に行きました。
ハンプトンコートは、ロンドン南西部
リッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン特別区にあり
テムズ川の上流に位置します。
この→門から宮殿に入ります。
王冠をかぶったライオンと王家の盾を
もったユニコーンが出迎えてくれます。
 この王宮、門から玄関までかなり歩きます。
私は、幼い頃は「お城に住みたい」と思って
いましたが、こんなに広いと色々大変・・・!!
でも心配しなくても大変になることは
生涯ないのですが・・・・。

それにしても、すさまじい・・・・・・
ヘンリー8世は君主たる責任から
どうしても男児が欲しかった・・・・・
もし、最初の妻との間に男児が誕生し
丈夫に育っていたとしたら
たくさんの血が流されることは
なかったのかも・・・?と
思うと運命の悲哀を感じます。
また、この血塗られた歴史を知ると
映画「エリザベス」をより
理解する事ができます。

このお城、ヘンリー8世以降
約200年にわたって王族の住居と
なっていた宮殿です。
宮殿内部には、王家の華やかな生活と
共に、そこに暮らした人々の悲哀をも
垣間見れるとか・・・。
 しかし、ヴィクトリア女王はウィンザー城を
好んだ為1838年から宮殿と庭園の一部が
一般公開されるようになったのだそうです。

 この宮殿2回にわたって改装されていて
1532年〜35年はヘンリー8世による
チューダー様式、その後1689年
ウィリアム3世とメアリー王妃が
建築家ウィリアム・レイに依頼して
フランスバロック様式を取り入れたのです。
両方のスタイルを楽しむ事ができます。


           幽霊伝説

館内の見所のひとつが、ホ−ンテッドギャラリー
と呼ばれる所、
 ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモアは
後のエドワード6世をこのハンプトン宮で出産
しかし、彼女は12日後に死亡します。彼女の
亡霊は今でもしばしば、宮殿の階段に現れるの
だとか・・・・・?また、5番目の妻
キャサリン・ハワードは姦通罪により処刑されます。
キャサリンは逮捕され護衛に引きずられながら
王の救いを求めて悲鳴をあげた・・・といい伝えられ
彼女の幽霊もこの城に現れるらしい・・・・・?
 そのほかにも、ヘンリー8世自身の亡霊も出る?
とか・・・何でも2003年12月に宮殿の監視カメラに
幽霊らしきものが写っていた・・・・?なんて事もあり
このお城・・・ちょっと怖いかも・・・・です。

 ヘンリー8世は幼い頃から君主として、語学やスポーツの面でも才能を発揮した王ですが
彼が最も有名なのは6人もの妻を持ち離婚・再婚劇を繰り返した事かもしれない・・との説も。
 ヘンリー8世は、1501年兄、アーサーが急死した事によりヘンリー皇太子となる。
1509年父の死によりヘンリー8世として即位。
  その2ヶ月後に最初の妻、キャサリン・オブ・アラゴンと結婚。
キャサリンは亡くなった兄、アーサーの妻だった。当時は女系の王位継承が認められなかった為
ヘンリー8世は息子の誕生を切望する。しかしキャサリンは度重なる流産をする事となり
結局、女児メアリーしか授かる事が出来なかった。すると彼は高齢で出産が難しくなったキャサリンとの
離婚を考え始める。
 そして結婚から22年後ヘンリーはキャサリンの待女アン・ブーリンと再婚。ヘンリーは離婚が
認められなかったカトリック教会に対して「兄の妻だったから婚姻は無効」との申し立てをするが
認められずヘンリーはカトリックからの離脱を決意する。自ら英国国教会を設立し(ここは、カンタベリーで勉強したね)1534年アンを正式な王妃に迎える。
しかしアンはすぐに女児エリザベスを出産するが、その後男児を流産してしまう。
それを境にヘンリーは次第に冷たくなる。
 次にヘンリーはアンの女官であるジェーン・シーモアに移り、彼女と再婚する為
アンに「反逆・姦通・近親姦・および魔術?」と、わけのわからん罪をきせて
無罪なのにロンドン塔で処刑する。
 数日後ジェーンと結婚し、ようやく男児エドワード6世が誕生するが、ジェーンは出産後12日で
死んでしまう。また、エドワードも15歳で病死している。
 その後4番目の妻となったのはアン・オブ・クレーブス。しかし結婚前に
ヘンリーに届けられていた彼女の肖像画と実物が、あまりにもかけ離れていた為
ヘンリーは会った直後から不興になり、わずか半年で離婚する。
この時ハンスホルバインという画家に肖像画を描かせた大臣トマス・クロムウェルも
ロンドン塔で処刑されている。
 同年には、最初の妻の従妹にあたるキャサリン・ハワードと結婚
この時、ヘンリーはすでに49歳、キャサリンは30歳も若かった。
彼は自由奔放に振る舞う彼女が許せず彼女もロンドン塔で処刑する。
 最後にヘンリーはイギリスで初めて本を出版した聡明な女性キャサリン・バーと結婚。
彼女は当時、私生児という身分に落とされていたメアリー(1番目の妻との娘)と
エリザベス(2番目の妻との娘)の地位を「王女」へと戻すことをヘンリーに嘆願し、認めさせる。
そして彼女はエドワードと合わせて3人の教育を任されるほどヘンリーの信頼を得る。
 結婚3年半後にヘンリーはこの世を去る。キャサリンはその後
ジェーン・シーモア(3番目の妻)の兄と再婚しているが翌年には病死する。
 皮肉な事にヘンリー8世は息子を授かる為に苦労したにもかかわらず
英国史上最も偉大な君主の一人となったのは娘エリザベスだった。

明日、訪れるロンドン塔の
予習にもなるので
これからヘンリー8世の
お勉強です。

それにしても、この宮殿の
幽霊伝説を聞いてから
ヘンリー8世は女の敵だと
思ってしまう私です。

本当はガーデンからメイズにぬける
道の途中のティルトヤードティールームで
お茶したかったけど
あまり時間がなかったので
お城の入り口にあるキオスクで
ハンプトンコートの描かれたカップ入りの
マンゴーフラペチーノを買いました。

 このカップ、家まで持ち帰り
今は旅の思いでに・・・☆

全部を歩いて廻るのは大変なので、こんな馬車もあります。

根っこの大きさにも驚きです。

温室全体に葡萄の枝と葉があり緑のカーテンのよう。

Great Vineと呼ばれる葡萄の木は1768年に植えられた世界で最も古いものと言われています。
この木のある温室の外では、根への養分を他の植物が取ってしまわないように
根が張っている部分には植物が植えられていません。

お城の南西側にある美しい配色のガーデン

お城の南側に続くプリヴィーガーデンは、こんなかんじです。

ハンプトン・コートのお庭には「迷路園」もあり壮大です。この↓全景図を見ると「なるほど」です。
グレートファウンテンガーデンの方尖塔(ほうせんとう)に剪定された木々が見えてきます。

ここでもお庭を見ていきます。途中、宮殿内部のロイヤルテニスコートで
老紳士プレーヤーがテニスをされるお姿を拝見、イギリスのテニスの歴史を感じます。

正門の上には英国国旗
ユニオンジャクが見えてきます。