最近の新作もみじ饅頭を売っているお店では↑炭もみじも新発売されていました。
食べてみると炭を感じる味?はわからないけれど、しっとりと美味でした。

11月22日(日)晩秋の宮島

この資料館、宮島屈指の豪商であった旧江上家の母屋と土蔵の一部をそのまま保存して
新たに2階建ての展示室を加えて昭和49年(1974年)に開館した資料館です。
衣・食・住、生産、運輸、交通、交易、信仰、年中行事など
庶民の生活に根ざした宮島の民俗資料がたくさん展示してあり
池のある庭園を囲んで一巡するしくみになっていました。
宮島の民家を代表する家屋敷のたたずまいも含めて、思っていたよりも見ごたえのある展示内容でした。

展示室の片隅にメルボルン製のピアノがひっそりと置いてありました。
このピアノ、昭和20年(1945年)第二次世界大戦の終結に伴い英連邦(主体はオーストラリア)軍が
宮島の大元公園内の「宮島ホテル」などに駐屯、そこで使用されていたのがこのピアノでした。
その後連邦軍が引き揚げる時に宮島町が買い取って小学校などで使用していました。
 このピアノがあった「宮島ホテル」は大正6年に(原爆ドームを設計した)ヤンレツルによって
設計された外国人用のホテルだったそうです。レツル氏が設計した本館は木造四階建てで
外観は神社仏閣の様式など和洋折衷で、内装や調度品などは西洋風だったそうです。
客室は20室あり、収容人員は36人。別に日本式旅館など平屋建てと合わせ延べ建坪は千坪ほどあり
外国人客を接遇するホテルとして多くの人が宿泊したホテルでしたが
第二次世界大戦がぼっ発するなど時代の波が打ち寄せ、1944年・昭和19年4月には
広島財務局への売却が決まり、戦後は駐留した英連邦軍の専用保養所として接収されました。
1952年昭和27年8月には調理場の煙突から出火して全焼。現在はホテルは跡形もないのです。

帰りに創業88年という吉川七浦堂のもみじ饅頭をお店で焼きたてを頂きました
↓お店のおばあちゃんがお茶を入れてくださりアツアツをのんびり頂きました。

私の生まれるずっと前に使われていた紙幣です。

今年はあいにくの雨だったのですが、懐かしい民族資料を見ることが出来て有意義でした。

宮島の杓子が生まれたのは200年以上も前の寛政の頃なんだそうです
広く世間に知られるようになったのは日清戦争の時で全国から召集された兵隊が
広島の宇品港から出征する際に「敵を召し取る」とばかりに杓子に自分の名を書いて
厳島神社へ奉納し勝利の記念に故郷への土産として持ち帰ったからなのだそうです。
また「幸せを召し取る」と縁起がいい杓子として人気だとか。

天井を見上げるとこんなに高いんです

なんだか、懐かしい感じでこの旧家の資料館に入ると落ち着きます。

電話もこんな風情だったのですね→

↓展示の紹介の最後に宮島らしい「鹿戸」がありました。
宮島にいる野生の鹿が家に入ってくるのを防いだ戸です。

アルミのお弁当箱は→
昭和お弁当の象徴ですね

弥山霊火堂からおろした「消えずの霊火」の大茶釜も展示してありました。

ちょっと前まで田舎の家にあった道具の数々が
展示してあり、とても懐かしい感じがしました。

↓宮島と言えば「もみじ饅頭」昔はこんな感じで焼いていたのですね。

宮島の山仕事に使われていた「かご」や「しょいこ」 それから「石臼」もあります。

資料室には、昔と言っても、昭和の中期までは使われていた生活の道具を見ることができます。

↑こたつや→あんか↓火鉢も懐かしい☆

宮島彫りの名品も展示してあります。木肌にノミの歯を当て、一気に線を入れ
大胆に彫り進められるのが宮島彫りの特徴だとか
「浮かし彫り」、内側を切り込んで絵を出す「しずめ彫り」線だけで自由に描く
「すじ彫り」は、いずれも伝統技法です。
神社や寺院建設のために訪れた宮大工や指物師の技術から生まれたという宮島の木工品、宮島彫りは
江戸時代の終わり頃から作られてきたというだけあって
作り方にも使い方にも先人の知恵が詰まっています。

大きな杓文字や高校野球の必勝杓文字などの展示もあります。

もみじ饅頭は明治の元帥「伊藤博文」がもみじ谷を訪れて
「もみじを茶菓にしたら」とアイデイを出されて出来たお土産なのだそうです。

昔は↓こんな荷車で色々な物を運んでいたのですね。

これは風呂桶

もちつきの道具

玄関には人力車や昭和のポストが展示してありました。

そこで、今まで行った事の無かった
「宮島歴史民族資料館」へ行く事にしました。。

今年も紅葉の宮島へ行きました、しかし、あいにくの雨の一日でした。

↑鍛冶屋で使われていた「ふいご」

↑これはお米を精白、精選する「万石(まんごく)」という道具

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