ワットプラオケ・王宮で王室文化を吸収
ワットポーからワットプラオケ・王室までは地図で見ると約900mですので車での移動は数分です。
王朝を守護するお寺ワットプラオケと王室とは隣接しており
ここがバンコク観光、最大のハイライトコースです。
サナムチャー通りから見た城壁の向こうのワットプラオケと王宮です。
通りにはタイならではのトゥクトゥクやカラフルなタクシーが見られます。
門の中に入ると芝生が美しく整備されて広々とした風景が広がっています。
丁度、衛兵隊の行進を見る事が出来ました。きりりとした行進に身が引き締まります。
衛兵隊の行進を見たこのメインの通りは
植木がとても美しく、丁度、手入れの最中でした。
これがとてもユニークなんです。右の写真→
長い竹のはしご1本で匠にヒョイっと手入れする様子は
職人技だな〜☆と感動したのであります。
それでは観光の前にタイ王室について
早わかりメモの引用で勉強しましょう。
その1・バンコク王朝の誕生
18世紀、ビルマ(現在のミャンマー)による支配を打倒したタクシン王がトンブリ
王朝を築きます。
しかし、この王朝、民衆の支持が
得られず1782年にはラマ1世が
政権を握って、現在まで続くバンコク王朝
(チャクリ王朝)を開きます。国号をシャム
として国土再建に取り組みました。
その2・近代国家の基礎を築く
ラマ5世は西洋国家を手本に中央集権制を推進し教育の振興、官僚機構の整備、奴隷解放などを実現しました。
42年間の治世中に行われた政策は
「チャクリ改革」とよばれ「シャム」の
近代化に大きく貢献しました。
それでは、まずワットプラオケの回廊の壁画を見ましょう。
このお寺の屋根付き回廊はタイ古典文化最高峰
「ラーマキエン」の物語の壁画で囲まれています。
壁画は178もの場面が細かく劇画調に描かれています。
この壁の後方では綿密な修復作業も進行中でした
ガイドさんの話しでは今夜見る予定の民族舞踊は、このラーマキエンに基づくものだとか〜楽しみ☆
←左の写真
高い支柱に尖った塔の建物は
プラ・モンドップ
ラマ1世の経典が守られています。
ワット・プラオケは、すさまじく
キラキラした物に囲まれています。
キラキラの中にちょっと落ち着く遺跡が見えます。
これはアンコールワットの精巧な模型でラマ4世が一時タイの属国となっていた
クメール国のアンコールワットに感動して造らせたのだそうです。
実際のアンコールワットは広いと思うので
全体を把握出来るこの模型で訪れる前に予習するのに良いかもです。
右写真→こちらも煌びやかな塔
プラ・スワナチェディです。
この塔はラマ1世が両親に捧げる為に建てた
と伝えられ、現在の物はラマ4世が再建した物
角ばった塔の台座を鬼のヤックと猿神のモック
の像が支えています。
どこまでも煌びやかだったワット・プラケオに身を置くと
何故だか、日本のわびさびの世界が懐かしく
京都や奈良に行って
しんみり仏像を見たくなってきました。
ちなみに「チャクリ改革」を推進したラマ5世は映画「王様と私」のモデルとなった英国家庭教師
「アンナ女史」から教育を受けた王子。この映画はアンナ女史が書いた著書を原作に
つくられた実話に基づいた映画なのです。
右の写真→はひときはまばゆく金色に輝く
スリランカ様式の仏塔は
「プラ・シー・ラタナ・チェディ」です。
ラマ4世がアユタヤにあった
仏塔をまねて建てたもの金色にしたのは
ラマ5世時代です。
内部には仏舎利(お釈迦さんの骨)が
納められているそうです。
日本のお城で「しゃちほこ」の付いている部分
それでは、衛兵さんに敬礼して
ワット・ラプオケから王宮へ入って行きます。
王宮の中央にはチェクリー宮殿が
堂々と建っています。
これは外遊から帰ったラマ5世が建築を命じ
イタリア人の建築家が設計したもので
屋根やその上の尖塔は伝統的なタイ様式
その下の部分は大理石を使ったビクトリア様式に
なっています。現在も迎賓館として使われています。
1階にある武具・鉄砲博物館は
公開されていて見学しました。
王宮内は美しく整備され
芝生もお庭も素敵でした。
その3・現在はプミポン王国
プミポン王・ラマ9世・(在位1946〜)はスイス留学中
ラマ8世の死去に伴い王位を継承し、近隣諸国が
戦争に巻き込まれる中、国内の安定を実現、
その政治手腕は高く評価されています
2006年には在位60周年の祝賀行事が
盛大に行われました。
もちろん日本の天皇皇后両陛下も
いらっしゃりその写真は、スワンナプーム空港に
大きなパネルで飾られています。